「レジスタンス」はどこへイラクでは、毎日毎日、テロがある。 今朝のニュースでは、イラクに展開するアメリカ軍の新たな指揮官○○(もう忘れた)准将が、 「1日に30件から40件の攻撃がある」 と明らかにしていた。 止まないテロ。 しかし、毎日30~40件あるというアメリカ軍&同盟軍への攻撃、 これはすべて「テロ」なのか? ニュースでは(新聞記事でも)なんの疑問の余地もなきかのように 「テロ」「テロ」と連呼している。 しかし、イラクの人たちのアメリカ&同盟軍への攻撃のすべてが、 「誰が命を落とそうとかまわない、自分たちの力が示威できればいいのだ」 という目的のために行なわれているとは思えない。 イラクで人質(ご本人はこういう表現をしてはいないが)となった安田さんの経験では、 拘束されていたのは農村の一角のようなところで、 そこへ出入りする人間も、戦いの姿をとらなければ普通の農民と思われるような人たちだったという。 ときに10歳くらいの男の子もやってきて、居並ぶ男たちと握手をし、 とても嬉しそうにしていたそうだ。 「部族のひとりとして認められたんだな」 安田さんはそう思ったという。 こうした普通の人たちも、自らと家族を守るためにあえて銃を取る。 そんな状態にまでイラクの人々は追い詰められていることが安田さんの話からはよくわかる。 マスメディアが言う「テロ」とは、 自己保存のための、やむにやまれない、自然発生的な反発をも ごちゃまぜにしているのではないか? そう思えてならない。 昔、「レジスタンス」という言葉があった。 しいたげられ、追い詰められた人たちの、決死の反撃。 権力者や侵略者への、窮鼠猫を噛む的な、捨て身の保身攻撃。 身を守るために身を捨てる、そんな矛盾の響きが「レジスタンス」にはある。 今、「テロ」と呼ばれている事件の中には、「テロ」ではなく、 「レジスタンス」=「抵抗運動」と呼ぶべきものが含まれているのではないのか? マスメディアはそれを自ら調査し、自らの責任できちんと使い分けるべきだろう。 現在の日本のマスメディアは、単純にか、意図的にか、 アメリカとその同盟軍への攻撃は、すべて「テロ」として処理しているようだ。 それでは、メディアとしての役目を果たしているとは到底言えない。 イラクの人たちによるやむにやまれない反発をも「テロ」と呼ぶのならば、 アメリカによる空爆などの攻撃は、組織的な「テロ」と呼ばねば公平ではない。 しかし・・・・・・、 マスメディアの中で、「レジスタンス」は、どこへ行ったのか? 現状を表現しきれない、もう過去の言葉として葬り去られたのか? そうではないだろう。 単に、きめの細かい取材をしていないだけ。 今現在、イラクには、マスメディアの記者・カメラマンはいるのだろうか? 危険な“戦場”に、記者を派遣することは、企業倫理としては(日本では)許されない。 しかし、記者たちがいなくても、日々のTVニュースや新聞記事はちゃんとできあがる。 今、ぼくらが目にしている映像・写真、そして記事まで、 フリーランスの人たちや日本以外の記者たちの手によるものが大半だ。 自らの手による取材を放棄し、情報を“買う”マスメディア。 そこにきめ細かさを望む方がムリなのかもしれない。 そんなこんなをあれこれ考えると、 今、流れているニュースは、アメリカ側の「発表」に追随しているだけ。 悲しいかな、やはり、そう思えてしまうのだ。 ジャンル別一覧
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